よるの底

闇を受け入れて光を目指すOL

不機嫌上司生産社会

私はとある一般企業で事務主任をしている。

特別リーダーの才能があるわけではないが、会社に中堅所がおらず、順番的に主任の役割が回ってきた。

 

正直、人の上に立つには若すぎるし、経験不足だ。自分の業務で手一杯なのに、全体を把握しろなんてとてもじゃないが、今の私の力量だと限界がある。

そもそも、効率的に仕事をこなすのも苦手だ。

通常の業務に加えて、事務社員の業務把握・指導・フォロー…とてもじゃないが抱えきれない。

酷い時は、1日が事務社員のフォローで終わる時もある。

 

分かっている。主任として成長し、事務社員が働きやすい環境にするには、こんな後ろ向きな考え方では絶対ダメだし、事務全体の士気を高めるような存在でなくてはならない。

 

分かっているけど…

激務で終わらない仕事。抜け出せない残業地獄。

でも上司から、働き方改革を掲げられ、「早く帰れ」「業務改善をしろ」としつこく言われ続ける毎日。

一方、後輩たちからは、当たり前だけど主任としての責任を問われる質問ばかりをされる。

 

「もう私を主任と呼ぶなぁぁぁぁあ!!」

と、叫びたくなるのをいつもギリギリのところで踏みとどまっている。

 

会社にストレスが多いせいで、最近、働いているとイライラしてしまうことが多い。

私の場合、それが態度に出てしまう。

上司としてはあるまじき姿だとは自覚してるし、反省もしている。

できるだけ穏やかに社員と接しようと意識しても、内側から溢れ出る会社への不満が、イライラの炎の燃料となり、全く鎮火できない。

遂には、イライラが止まらない自分にイライラしだしてしまう始末。

 

こうして自分が上司の立場になってみると分かる。

いつも不機嫌だったあの上司も、心の中では、このどうしようもない板挟みのストレスと戦っていたのかもしれない。

平社員時代、不満に思っていた、上司の機嫌の落差の激しさも、今や自分が同じことをしてしまっている立場だ。

このストレス社会において、不機嫌な上司を生産してしまうのは不可避かもしれない。

 

上司側も、もっと余裕を持って働きたい。

穏やかな心で社員と接したいし、社員のためになることを立案したい。

そんな余裕は今の私には全くない。

 

思いと現実のギャップに今日もイライラする。

こうして、今日もまた不機嫌上司が生み出されていく…

 

結婚の先にあるもの

久しぶりに母親と二人で夕飯を食べに行った。

ずっと気になっていた居酒屋で、どんな料理が食べられるのかわくわくしていたが、そんな楽しみも長くは続かなかった。

 

お酒が入った母親は、語るモードに突入した。

そして、ここぞとばかりに、自分の夫と姑への長年の不満をぶちまけだした。

ずっと耐えてきたことが、遂に限界をこえてしまったようだった。

私はただただ、話を聞くことしかできなかった。

母親だって、別に解決策を私に求めて話しているのではないだろうけど、私には、無力感だけが残った。

 

同居している時は、毎日のように母親の愚痴を聞いていたし、夫や姑、つまり私の父親や祖母の言動がストレスになっていることは知っていた。

ただ、それが家族崩壊の危機にまで陥っているとは気づけなかった。

気づいていたところで、何も出来なかっただろうけど。

 

今まで、仕事人間の父親の代わりに子育てに全振りしてきた母親は、子供が大きくなって手がかからなくなってきたときに、

「なんで私こんなに頑張ってるんだろ」

「なんで私だけこんなに耐えなければならないんだろう」

と、いかに自分の人生を犠牲にしてきたかを思い知ってしまったんだと思う。

 

相手の考えは変えられない。それなら、相手との関係性を変えるしかない。

とっくに人生を折り返している母親は、これからの人生、関わる人や付き合い方を厳選していきたいと言っていた。

私は、そんな母親を応援しようと思う。

だからといって、父親を無下にする訳では無い。

私はあくまで、両親の中立した立場でなければならないと個人的に思っているから。

それに、どのような関係に落ち着かせるのかを決めるのは両親だ。夫婦間に水差しはできない。

 

ただ、私の意見を言っていいのであれば、お互いが不満を持っていて、一緒に過ごすのがキツイのであれば、別れるのもひとつの選択肢だと思う。

子供も、1番下が大学生なんだから、あえて家族の形を繕う必要はないのではないか。そうなった場合、金銭面の問題は出てくるが、何にせよ話し合いは必要なのだから、その一貫で落とし所を決めるしかない。

 

仕事人間で子育てを放置していた挙句、進路は自分の思い通りにし、金使いの荒い夫。

何でも自分の思い通りにならないと気が済まない、思いやりなんて微塵もない最悪の姑。

…これだけ聞いたら、結婚するメリットってないような気がする。

みんな「結婚」によるストレスに耐えながら外では幸せそうな顔して生きてるんだろうか?我慢するのが普通なんだろうか?

 

もしそうなら…私は結婚したいとは死んでも思えない。

転職活動日記

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「あなたが仕事以外で人をサポートしたことがあるエピソードを教えてください」

面接官の女性が画面越しに私に明るく尋ねる。

 

「…えー、少々お時間いただいてもよろしいでしょうか?」

頭の中が忙しなく動く。

なぜ仕事以外!?仕事のことならこじつけて話せるのに!!

あーもうとにかく探せ!どこかにあるはずだ、私が人を助けた経験が!!エピソードが!!

どこだどこだどこだ!!なぜ見つからない!!

 

答えが見つからない私は、無言をさけるために

「友人関係においては、聞き手になることが多いです。友人に寄り添って、相手が欲しい言葉を考えます。」

というような、絶対コレジャナイ感が溢れた言葉を口走った。

 

「あ、なるほど。わっかりましたー」

面接官の若干引きつった笑顔が画面越しでもはっきりと感じられた。

 

 

後日、メールを開くと、案の定「ご期待に添えない結果となりました」と、見慣れた定型文が転職エージェントから届いていた。(これだけが理由じゃないだろうけど)

 

分かっていたが、私はあの時なんと答えるべきだったか、冷静になった今でも思い浮かばない。

 

私は人の支えになるようなことを今までしてこなかったんだろうか。

自分のことに必死で周りが見えていなかったんだろうか…あるいは、見えているのに見えていないフリをしていたのだろうか。

 

自分はそれなりに頑張ってきたと思っていたけど、ただの自己満足で、誰のことも助けられてなかったのかもしれない。

 

ダメだ。また自信喪失モード。

 

ってか日常におけるサポート経験ってなんやねん。

部活のマネージャーでもやってれば良かった?

介護とか、家族の手伝いとか?

 

どれだけ探しても、人をサポートしたエピソードは出てこない。

 

でもそのかわり、人にサポートされた経験はたくさん思い出した。

たくさんの人に助けられて生きてきたことを、転職活動で思い知らされるとは思ってもみなかった。今まで、人からのサポートを当たり前のように受け取り、きちんと感謝できていなかった…ということなのかもしれない。まったく愚かである。

 

そしてもうひとつ思い出した。私はこれまでの人生、どちらかというとリーダーになることが多かったのだ。

今の仕事だって、言ってみればリーダー職だ。

だけど、私は一度だって自分がリーダーに向いていると思ったことはない。

自分がリーダーになって上手くいったことがまずない。今だって上手くいってない。

 

じゃあ私は一体どういう役割が向いているんだろう?

何者にもなれない。もしかして、チームワーク向いてない?社会人向いてない?

 

「はぁ…どうしよ」

 

今まで適当に生きてきてしまった過去の自分を恨みながら、今日も求人票を漁る。

過敏性腸症候群(IBS)で不登校になった話 1

私は今、社会人3年目で、一般企業の事務として働いている。

高校、短大を卒業して社会人になるのなんて、人間の一般的な通過儀礼だけど、私にとってはものすごく奇跡に近いもの。こうやって社会人になって、毎日働いて、給料で生計を立てて生きていけるなんて、中学生の頃の私が知ったら驚くだろうな。

 

今日は私が生きてきた中で最も辛かった過去のお話。あれからもう10年経つけど、あの暗黒期を忘れたことなんて一度もない。

 

✱✱✱

 

私は中学生の時、自他ともに認める超真面目な生徒だった。授業の予習・復習はもちろん、テスト前は1ヶ月前からコツコツ勉強。課題もきっちりこなし、自分で言うのはなんだが、先生からの評価も高い模範生だった。

 

それに加えて、私は頼まれたら断れない性格だった。キャパオーバーだと分かっていても「NO」と言えない。「いい子でいなきゃ」「失望されたくない」という思いが強かった。

 

今思えば、承認欲求が人一倍強かったのだと思う。褒められたい・認められたいが故に能力以上のことを引き受ける癖がついていた。だから、都合よく使われることもしばしばあった。

 

中学2年生になった頃。私は仲が良かった友人達と別のクラスになってしまった。

正直クラスの中で気の置けない友人がおらず、学校の居心地が悪くなった。

さらに、1番仲の良かった当時「心友」と呼んでいた友達が、中学1年生の後半から、突然私のことを無視するようになった。理由が分からず、悪い事をした覚えもないため謝るのも違う。でもどうしたらいいか分からない。結局それも解決しないまま進級してしまったため、クラス外にも居場所がない。

 

この時点で私の心はだいぶすり減っていた。

中学生の頃なんて、行動範囲も限られてるし、経験も少ない。「学校」か「家」の2つがこの世の全てだと思うくらいに視野が狭かった。

世界の半分がしんどさで埋まっている。

当時自覚はなかったが、もう限界は近かったのだと思う。

 

それにトドメを刺すように、今度は担任から学級委員長になるようにお願いをされる。

本来、学級委員長は立候補で選ばれるが、めんどうな仕事が多いため、やりたがる人は少ない。

担任も困っていたのだろう。言い方は悪いが、真面目で頼まれたら断れない私の性格に付け込まれた。

人前で発言するのも目立つのも大嫌い。

先頭に立ってみんなをまとめるなんてもってのほか。

けれど、承認欲求の奴隷だった当時の私は、当然断れる訳もなく、二つ返事で引き受けてしまう。

 

学校の居心地が良くなくて、苦手な仕事を毎日しないといけなくて、学校に行くことがとても苦痛だった。でも「いい子」でいないといけないと思い込んでいたから無理して頑張っていた。

 

そんなある日…

 

教室でいつも通り授業を受けていた。すると、なんだかお腹にガスが溜まって苦しくなってきた。我慢ができず、音を出さずに放屁してしまった。

すると、私の3つくらい後ろに座っていた男子が

「なんか臭くね?」

と言っているのが聞こえてしまった。

一気に心臓が冷たくなった。その臭いの原因は間違いなく私。

 

-私だってバレたらどうしよう

-ただでさえ居場所がないのにさらに居づらくなる

-「真面目でいい子」のイメージが崩れる

-何より女子がおならなんて恥ずかしい

 

冷や汗が止まらない。

結局、私が原因だとバレたのかどうかは分からなかった。だが、男子が言った「なんか臭くね?」がずっと頭から離れず、その日の授業は全然頭に入ってこなかった。

 

ここからが地獄の始まりだった。

 

お腹にガスが溜まるのはその日だけで終わりではなかった。翌日も、翌々日も、その次の日も…ずっと私を苦しめた。

ガス漏れの恐怖がストレスになり、さらにガスが溜まってしまう負のループから抜け出せなくなってしまったのだ。

 

ずっと脳内をおならがバレてしまう恐怖に支配され、授業やテストに集中することができない。

そのストレスでさらにお腹にガスが溜まる…

 

何より最悪だったのが、毎週月曜日の全校集会。

とにかく人口密度の高い場所はおならがバレる可能性が高いため、避けたかった。

なのに、学級委員長はクラスの最前列に座らなければならなかった。しかも、ガスが出やすい体育座りで長時間耐えなければならない。

いつも後ろに座っている人達に「本当にごめんなさい。臭くてごめんなさい」と思いながら苦しんでいた。

 

そして、次第に周りの言動に過剰に反応するようになっていった。

例え私のおならのことを言っていなくても、

コソコソ話す声や、「くさっ」とか「くそ」とか末尾がさ行で終わる言葉に敏感になったり、

近場の人が鼻をつまんだり、鼻に手を当てるような仕草をしたりする人が気になったり、

咳払いをする人にも私がガス漏れ女だとバレているのではないかと恐怖心を感じるようになった。

 

毎日が本当に地獄だった。

 

-なぜ私だけこんな恥ずかしい悩みを抱えなきゃいけないのか

-どうせ悩むなら、「親が離婚した」とか人に相談しやしくて同情してもらいやすい内容ならよかったのに

-もう何人かにはバレているのでは?そうに違いない

-私は真面目に生きてきたはずなのにこれはなんの仕打ちなのか

ーなんでよりによって周りにも迷惑をかけてしまう悩みなのか

-いつまでこの状態が続くのか。まさか…一生?

 

誰にも悩みを打ち明けられず、どうしていいのか分からない。毎晩1人、部屋で泣いていた。

 

こんなに心はボロボロだったのに、表向きは「いい子」でいるために、なんともない顔して学校に通っていた。約5ヶ月。(夏休みを除くと4ヶ月か)結構頑張ったと思う。いや、頑張りすぎてしまった。

 

こんな状態でいつまでもいられる訳もなく、中学2年生の10月。遂に限界が訪れる。

 

《続く》

 

 

 

すぐに泣いてしまうのをなんとかしたい

仕事で自分の伝達不足や認知不足によって招いたミス。それに伴うお客様からのクレーム。

ここ最近何件か立て続けに起きて、自責の念で潰れそうになっている。

 

普段から注意不足や怠惰による小さなミスが多いことは自覚している。

単にミスに気づけずにスルーしてしまって後から発覚するパターンもあるし、「あ、これ絶対後から問題になりそうだな」と思っても、その場しのぎで「まぁいいか」と見なかった振りをして、後から案の定大事(おおごと)になる場合もある。

後者に関しては社会人として本当にあってはならないことだと思うし、ミスが発覚した後はこの世の終わりだと思うくらいに自分を責める。

 

責任感は強いくせに、仕事で手を抜いてしまう瞬間がある。

この矛盾した、いい加減な性格に自分でイラつくこともしばしば。

 

そして何より自分で嫌になるのが、ミスが発覚して落ち込んだ時に涙が抑えられないということ。

ミスが発覚した時って本当に泣いている場合じゃない。お客様に心からの謝罪をしてフォローしないといけないし、早急に上司に報告をして指示を仰ぐべきだ。

 

分かってる。

 

分かってるけど、「今泣いてる場合じゃないでしょ!早く泣き止んで行動してよ!!」と自分を責めれば責めるほど、そんな自分に益々イライラして余計に涙は溢れてくる。

トイレに駆け込んで、嗚咽するほど泣いて、仕事にすぐに戻ることができない。

気持ちを立て直すのに時間がかかる。

 

これが入社1年目の新入社員だったなら、周りの人も優しくしてくれるのだろうけど、入社3年目の決して新人ではない社員がミスしてお客様からクレームが来る度に泣いていたら鬱陶しく思われるかもしれない。

 

改善したいけれど、感情をコントロールするのはほぼ不可能だ。

何せ、私は生まれてから23年間、喜怒哀楽の全ての感情を涙を流すことで消化してきた。

小学校の授業で跳び箱が上手く跳べなくて泣き、

友達からバースデーサプライズをしてもらって泣き、

自分の思ってることを上手く言葉にできなくて泣き、

友人からの悩み相談で友人本人よりも泣き・・・

 

そのほとんどが、感情を制御することができずに嗚咽するほどの大号泣。

 

さすがに社会人として、自分の感情に振り回されるような、情けない姿は周囲の人に見せたくない。ちゃんとミスを速攻カバーできるような対応力を身につけたい。

 

どうしたらいいのだろう。入社3年目でこんな初歩的なところで躓いていて大丈夫だろうか。もっと経験を積んでいけば冷静に対応できるようになる?

 

分からない。

 

とにかく今できるのは、「ま、いっか」で問題の種を放棄してしまう自分と戦って打ち勝つことだと思う。

泣かないようにするのは無理でも、泣くような状況にならないようにするのは自分の意識次第で何とかなりそう・・・かも。

 

頑張ってみるしかないか。

あえて闇をさらすという戦略

「生きづらい」

そう思わない日はないくらいに、この世との相性が悪い。

 

人間嫌いなくせに人から嫌われるのが怖くて、

失敗した時に謝罪の言葉よりも自分への怒りが先行して、

自分のことで精一杯のときは他人の声は聞こえないふりをする

 

とてもじゃないけど「素晴しい」とは言えないような、心に闇を飼いならす、出来損ないの人間。

 

そんな私がブログを書くことにした。

今まで自分の内側だけで巡っていた思いを綴って、客観的に見られるようになったら何かが変わるかもしれないと思って。

こんなブログは誰にも見られてないと思うけれど、もし何かの弾みにうっかり私のブログを読んでくれた人がいたとして、同じように自分の愚かさや生きづらさに悩んでいる人に届くこともほんの少し期待して。

 

目的はあくまで、心の闇をさらして悲劇のヒロインを演じることではない。

今まで嫌ってきた・逃げてきた『闇』あえてにフォーカスをあてて、見つめ直すことで、悩んでいたもの正体に気が付けたり、改善点が見えてきたりするかもしれない。

それに、「自己嫌悪な自分はダメだ」というネガティブループから抜け出せない私には、己の闇を受け入れる覚悟が必要だと思う。

私が向かう先は『光』であることをはっきりと宣言しておきたい。

 ネガティブを否定せずに、受け入れていけば、それはもはやポジティブだと思うから。その方向性で。

 

 

どんなに辛く、悲しいことも必ず終わりが来る。

泣いて喚いて悩んでもがいて、いつの間にか辿り着いた『よるの底』

そこに辿り着けば、それ以上は落ちていかない。

ずっと底にいても飽きるし、思う存分悲しんだら、あとは上がってくるしかない。

 

このブログが私なりの闇との戦い方・・・というより付き合い方になっていけばいいなと思う。